フォロンのポスター「Papier Recyclé」 |
「Papier Recyclé(再生紙)」という題で、環境保護のために古紙の再生利用を呼びかけるポスター。サイズは二種類あり、こちらはシルクスクリーンの原画をフォトリトグラフで再現したものです。このポスター、少し離れて見ると、何の変哲もない風景を背に一本の木が立っているように見えるのですが、木の根元の方から足が生えていて、画面の外側、紙そのものの上を歩いているという、ちょっと不思議な構図になっています。漫画などでも、動きを強調するためにイメージの一部を画面の外にはみ出して描く方法がありますが、このポスターでは、画面の中にあるはずのモチーフが実は画面の外側にあり、ポスターを構成するイメージと余白とが、型どうりのニ分割ではなく、相互浸透することで、画面を多層化し、一種の騙し絵的な構図を作り上げています。そこにはポスターの物理的な構造である《紙》を作品の要素として意識させる狙いがあるように思われます。
知識や情報が、富や財産と同じように、ある特定の場所に集積される時代から、不特定多数に向けて均等・均質にばら撒かれる時代へと変化したことで、それらの質として意味内容は分節化され、量的なボリュームへと変換されることになります。さらに物質文明の中では部分が無機的全体を構成しているという神話が強くなりすぎて、言葉ひとつを取ってみても、それ本来の成り立ちと関わる人間と自然との精神的な関係性が薄れ、様々な事象を表す記号へと転用されていく中で、その言葉が表す精神の状態がそっくり抜け落ちてしまいます。精神の状態を示す有機的全体は部分に分割することはできても、部分の集合は統合された全体を形成できないという意味で、本来の意味内容は失われていき、その失われた意味を取り返すために膨大な量の情報が生み出され、消費、破棄されます。そしてさらにそれらのものが分断され、関係性を失い、木霊のように宙を彷徨う存在となってしまいます。木霊とは反射であり、複製でもあるように、言葉自体も複製化された情報の断片でしかなくなってしまうのです。そのように人間の精神活動を支える役割を果たしてきた言葉と、それを記憶する文字との関係の平衡性が失われ、言葉のための言葉によって膨大な量の紙の消費を引き起こした結果、自然のもつ再生能力を超え、生態系を破壊するまでになり、人間が自然の一部であった時代にあった自然と人間との共生意識が、物質文明と引き換えに失なわれてしまったのかもしれません。
古紙の再生利用は、古くから漉き直しといった方法によって行なわれてきたようですが、紙が水や空気の如く無尽蔵に手に入るものではなかった時代のそれと、現在の大量生産・消費の中で起きている環境破壊を前提とする再生利用とは、その持つ意味が大きく異なっているように見えます。毎日大量に消費され破棄されている紙を資源として再利用しようという考えは、利益効率を高めるための手段ではなく、環境保護に根ざしたものであり、紙の原料となる森林が限られた資源であるという認識を共有する役割を担っているはずですが、一方、費用対効果の観点から、古紙の再生に掛かる費用が新しいパルプから製紙する費用よりも高くなると、古紙の再生利用に疑問を投げかける向きもあるようです。しかし、ここで、経済的な論理に注意を奪われ、ことの本質を歪めてしまっては意味がありません。
文明や人間精神の外部記憶装置としての《紙》も、やがてアナログレコードや磁気テープなどと同じように、人間の精神活動における常套手段ではなくなる日がくるかもしれません。しかしながら、ネット社会と言われる今日、文字を書くという行為が、絵画や彫刻、あるいは音楽や舞踊といった身体性を伴う創造活動と同じように、言葉の意味を転写する記号としての機能とは別に、人間の自己認識の手段であり、精神活動を表象化する手段としての意味を改めてを問い直さなければなりません。
このポスターの基調を緑色に変えたものが、1987年に提唱されたヨーロッパにおける環境問題を国境を越えた共通の課題として認識する計画《The European Year of the Enviroment》の広報用ポスターに使われています。