フォロンのポスター展の広告「Folon s'affiche」 |
ご存知のように、今年2013年はフォロンの生誕80年にあたり、この展覧会もそれに因んで開催された可能性があります。ひょっとすると、これから開催される展覧会もあるかもしれません。が、こと日本に関して言えば、コマーシャルアートとファインアートを横断する創作活動を行なったフォロンに対する評価が定まっていないのか、没後未だ一度も展覧会は開かれていません。日本でのポスター展を期待しながら始めたこのブログ、百回も更新すれば、展覧会が開催されるのではないかと思っていたのですが、甘い幻想に過ぎなかったようです。何度か提案も行ないましたが、どこも耳を貸してはくれませんでした。まぁ、ろくすッぽ美術のことも知らない人間の言うことなど聞きたくない、というのが本当のところでしょう。
最近はどの公立美術館も一律に「採算」や「収益性」が求められる一方、美術館本来の業務であることろの作品収集のための予算がカットされ、もっぱら寄贈が頼りという情け無い状況にあるようです。そんな日本国内にあって単独でフォロンのポスター展を開けるコレクションを所蔵していたのは、大阪市港区の天保山ハーバービレッジにあったサントリー美術館でしたが、その100点余のポスターは、2010年から他のポスター約2万点とともに大阪市に寄託されているようです。前にも書いたことがあるのですが、サントリー美術館時代に一度学芸員にフォロンのポスター展について問い合わせたことがありますが、集客力のない作家の展覧会は行なわないとの返事でした。その美術館が入場者数の減少を理由に閉館したというのは皮肉な話ですが、浮世絵についても、江戸の浮世絵に対して大阪や京都には上方絵という様式があったように、インターネットが普及し情報格差が無くなった現在でも、地域性というものが展覧会の成否を左右する大きな要因となっているのではないかと思われます。東京では“うける”作家であっても、関西ではいまひとつという話を聞いたことがあります。伝統や格式を重んじる関西にあっては、ポスターをひとつの芸術として受容する風土が育っていなかったのかもしれません。が、たとえそうであったとしても、それを閉館の理由として発表することは憚れます。しかし一方で、企画の立て方について言えば、分かり易さを求めすぎ、表層的な鑑賞に陥らせていたのではないかというような気がしないでもありません。
では寄託を受けた大阪市と言えば、ポスターを研究対象とする学芸員がいないのかもしれませんが、フォロンについてだけ云っても、100点ものポスターがあればそれなりの展覧会を開催することは容易のはずですが、今のところ展示も貸し出しも聞かれず、宝の持ち腐れとも言えるような状態にあるようです。フォロンが敬意を持ってオマージュを捧げたアールデコのポスター作家カッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre, 1901–1968)が、「絵画は、すでにそれ自体が目的である。ポスターは売り手と公衆の単なるコミュニケーション手段にすぎない」と認識していたように、機能性や目的に応じてデザインされるポスターを絵画よりも下位のものと見る風潮から脱却できていない状況が依然としてあるのは、それはポスターの立ち位置が権威的なものではなく、その多くが大衆に向けたものであったことにも起因しているのかもしれません。
そんな状況を鑑みると、ただただ何年も自らの生み出した幻像を追い求めるために費やしてきた時間は、アリとキリギリスの喩えにもあるように、何の生産性も無く、今後の生活に重くのしかかってくるのかもしれません。寒い冬はもう直ぐそこに迫っていますから...。