フォロンの雑誌カバー「Le Nouvel Observateur, No.222」(1969) |
前回、前々回と二回続けてフォロンが表紙絵を手掛けたフランスの左翼系週刊誌ル・ヌーベル・オプセルヴァートゥール(Le Nouvel Observateur)を取り上げましたが、今回はそれに続くと思われる1969年2月発行の222号です。《La fin de la vie privée...》という見出しは、“プライバシーの終わり”という意味ですが、インターネット全盛の今日この頃の話題ではなく、1969年にすでに危惧されていたようです。フォロンの描く表紙絵には、どこに繋がっているのか分からない、ネット回線ならぬ電話回線が、テーブルの上はもちろん、地上を埋め尽くすかのように張り巡らされており、この状態をさてどうしたものかと思案する人物の姿が描かれています。
今日のようなネット社会の中では、プライバシーは、著名人だけでなく一般人であっても、衆目(?)を集めるために使われ、消費される、ある意味で商品と化しているかのように見えます。では、プライバシーは、近代社会において、《一人でいさせてもらう権利」(the right to be let alone)》として、人間が獲得した権利なのか、それとも人間に許された自由なのか。権利と自由の間には大きな隔たりがあるように思われますが、権利であれば商品と同じように売ることができますし、自由であれば共有可能ということで、その両方が絶えず交差する中で、個人に関する情報は絶え間なく暴露され、また搾取され、公開されていくこととなります。やがて個人という精神の器がその意味を失い、パターン化・類型化された記号として、電脳空間という陳列棚に分類されていきます。そこでは生物としての生はもはや重要ではなく、あるパターンの特性に関する度数としてのみ捉えられることでしょう。結果、創造力を発揮出来ない大多数の人間の生は、乳牛のように管理され、搾取され、果ては破棄されていくことになるのかもしれません。しかしプライバシーというものが意識される以前、先人たちはどう生きていたのでしょうか。そこでは果たしてプライバシーを必要としていたのでしょうか。ということを考えると、産業革命によって都市化が進むにつれ、農村部のコミュニティーを形成する母集団が限りなく小さくなっていき、都市においては完全なる“個”が一単位となってしまった結果、上に掲げた、《一人でいさせてもらう権利」(the right to be let alone)》というものが最小限の単位であるところの“個”を守るために必要になってきたのかもしれません。
この号の見出しに使われた記事「La fin de la vie privée」を書いたフランス人ジャーナリスト、ジャン=フランシス・エルド(Jean-Francis Held, 1930-2003)は、「フランス人と人種差別」を発表した1965年にル・ヌーベル・オプセルヴァートゥールに入社しました。記事には、表紙絵とは別に、フォロンのデッサンが一点添えられています。そこには-今からすると多分にアナログ的ではあるものの、ことの本質を捉えているように思えます-(ある特定の意図を持つ誰かに操られた)ゼンマイ仕掛けの帽子の男たちが、フォロンの画集「メッセージ(Message)」にも登場する通りを歩く帽子の男を指差し、彼の素性あるいは行動に関する情報を共有しようとしている場面が描かれています。ここに登場するゼンマイ仕掛けの男は、この年の4月21日から30日かけて東京銀座の壱番館画廊(Ichibankan Gallery, Tokyo)で行なわれた「フォロン・グラフィックデザイン展」の告知用ポスターにも描かれています。このポスターはアルミフォイルをコーティングした用紙にシルクスクリーンで刷られたもので、刷りはもちろんパリのジャック・マルケ(Jacques Marquet, Paris)が行なっています。
このゼンマイ仕掛けという発想は、フォロンのブリキ玩具好きから来ているものと思われますが、フォロンにおけるユーモアは、ネガティブなアイロニーによるものではなく、ある意味が別に意味に変容するという、隠喩として提示されているようです。その触媒となっているのが、ごく当たり前に目にする物事で、それが帽子の男や太陽、目、樹木といった多義的な性質を持つフォロン独自の視覚言語と組み合わされることで、そこに空想や詩、思想が浮かび上ってきます。フォロンはその親しみ易さが、見る者の精神の緊張を解きほぐし、空想の羽根を広げる効果を持つと考えているようです。そこから先に行くか行かないかは見る側の自由なのです。たしかに、フォロンの絵を単なる癒しと見る見方は間違いではありませんが、見る者ひとりひとりが想像力を駆使して物語りを創り上げることができる可能性を信じているからこそ、フォロン自身は多くは語らず、ユーモアを介して仄めかしているのです。