フォロンのポスター「Lointains」 |
ご存知のように、1994年から翌95年にかけて、静岡、東京,京都の三ヶ所で開催された「フォロン展」を最後に、フォロンの大規模な展覧会は行なわれていません。先月、没後一周年を向えたフォロンですが、いくつか民間レベルの回顧展のようなものが開催されたものの、公的な美術館での回顧展も、わたしが期待したポスターの仕事を顧みる展覧会も残念ながら行なわれませんでした。現在、日本で最も多くフォロンのポスターを所蔵している美術館は、大阪にあるサントリーミュージアム「天保山」で、随分前に100点ほどのポスターを一括購入しています。その後も継続してコレクションを増やしているとしたら、ポスター展を十分開催できるぐらいになっているかもしれません。北陸の富山県立近代美術館も、「世界ポスタートリエンナーレ」を開催している関係でしょうか、点数はわかりませんが、フォロンのポスターを所蔵しています。版画作品に関しては、四国の徳島県立美術館がシルクスクリーンの版画17点と銅版画6点の併せて23点を所蔵しています。あと北海道の公立美術館でも版画作品を所蔵しているところがあったと思います。単独では無理でも共同して作品を出し合えば、高い賃料を払って海外から作品を借り受けなくとも、自主企画でフォロン展を開催できるのではないでしょうか。
そんな期待もあって、以前、フォロン展開催の可能生について、専門家を介して当の美術館にお尋ねしてみたところ、「客が入らない企画は立てられない」「ポスターなんかの展覧会は行なわない」といった美術館の立場を反映?した回答をいただきました。展覧会の企画には、大まかに言うと、収益性と研究成果という、民と官の展覧会に対する観点の違いによる二つのタイプがあります。大手新聞社や百貨店の文化事業の一貫、あるいは展覧会企画専門業者の持ち込みによる名画や有名美術館紹介型の企画は前者、一方、美術館が常日頃行なっている調査、研究、収集の成果をもとに、それまでとは異なる視点を提示する、美術館独自の企画は後者ということになるでしょうか。したがって大手新聞社と百貨店の企画であった二つのフォロン展は商業主義的性格の強いものであったと言わざるを得ません。ただ、ここで問われているのは、商業主義の是非ではなく、展覧会として成立するかどうかの問題なのです。その意味では、フォロンの場合、残念ながら、そのどちらも否定されてしまったことになります。再度、どこかの奇特なお方(やはり大手新聞社でしょうか)が企画を持ち込んで下さることを祈りつつ、わたしの世迷い言はこれくらいにして、好きなフォロンと再び旅に出ることにしましょう。
1996年の11月から12月、年を跨いで翌97年の1月にかけて、スイスはローザンヌにあるGalerie Alice Pauliで行なわれた個展「遠景」には、日本で開催された「フォロン展」に出品された作品の一部が再出品されています。「フォロン展」のカタログの表紙として描かれた水彩画もその内の一点ですが、個展の告知用ポスターの裏側に印刷されていて、ポスターを八つ折りにすると、内覧会の招待状の表紙になります。ヴェルニサージュ(作品が完成したときに行なうニス掛けの意)と呼ばれる内覧会の招待状は二つ折りのカードタイプのものが多く使われるので、ポスターと兼用というのは珍しいかもしれません。
一方、ポスターには、朝靄に煙る水平線を航行する一隻の船が描かれています。姿を現したばかりの太陽の光は靄に遮られながらも、ほの暗い青とオレンジに溶け合い、静かな海面を染めていきます。まどろみの中に現われた夢幻的光景のように。水平線に浮かぶ船は描かれたものではなく、ダンボール紙や広告などを千切ったり切り抜いたりしたものを張り合わせた、コラージュという技法で作られています。船が、フォロンの90年代の主要なモチーフになるきっかけとなったのは、1984頃から南フランスの海の見えるアトリエで制作するようになり、地中海を行き来する船を数多く目にするようになったことです。沖を行く船はまるで止まっているように見えますが、徐々に近づいてきたり、遠ざかっていくことが暫らくすると分かります。フォロンの描く船もそのゆったりとした時の流れを示しているかのようです。帽子を被りコートを着た男は、かつて世界の目撃者でした。今、船は旅する人の姿であり、作品には世界各地を旅して回ったフォロン自身の姿とその思い出が綴られているのではないでしょうか。