フォロンのポスター「The Blue Rose」 |
アメリカにある知的障害を持つ子供たちの支援を目的に設立された財団「The Blue Rose Foundation」のためのポスター。フォロン自身のオフィス《青い影》から出版されました。この財団は、ユダヤ系ポーランド人で、ホロコーストの生き残りであるゲルダ・ヴァイスマン・クライン(Gerda Weissmann Klein,1924~)が、1974年に近所に住む知能障害を持つジェニーの誕生日のお祝いとして書いた、『The Blue Rose』(20ヶ国語以上の言語に翻訳されています。邦訳もあります)がきっかけとなって生まれました。自然界には存在しないとされるブルーローズ(青いバラ)は“不可能”の象徴として使われることがありますが、ここでは、クライン自身の、自らの力ではどうにもならない、死へと追い立てられる状況から奇跡的に生き残ることができた経験が、自立して生きることが難しい知的障害を持つ子供たちの生きる可能性、奇跡を生み出す力として反語的に使われているように思われます。
クラインは1924年、ポーランドのビエルスコ(Beilsko)の中産階級の家に生まれました。1939年、彼女が15才のときドイツ軍がポーランド侵攻し、兄はドイツ軍に入隊させられ、両親はアウシュヴィッツ強制収容所に送られてしまいます。クライン自身は強制労働に駈り出され、ドイツ国内を転々とし、1945年の5月、ボヘミアのヴァレルン(現在はチェコ領のVolary)でアメリカ陸軍によって解放されたときには、極度の栄養失調で、体重は68ポンド(約31キロ)しかなかったと言います。回復のなかで、ナチから逃れるためにアメリカに移民し、その後アメリカ陸軍の兵士となったクルト・クライン(Kurt Klein)というユダヤ系アメリカ人に出会い、恋に落ちます。1946年にパリで結婚、ニューヨーク州のバッファローに居を構え、三人の子供に恵まれます。1957年に戦時中の体験を綴った『All But My Life』を出版、その後も何冊かの体験記を出版しています。1998年には、二度とホロコーストを起こさぬために、教育と地域奉仕活動を通して、学生の、異なるものに対する寛容、他者への敬意、権利の付与を促進する「The Gerda and Kurt Klein Foundation」を設立、今も活動を続けています。
このポスターで、フォロンは、1981年にペトルツェルリ劇場のためにデザインしたポスター「Teatro Petruzzelli」と同じように、画面を三つのパートに分け、字数が同じ“ブルー”と“ローズ”の文字を上下の画面にシンメトリックに配し、一輪の青いバラを捧げ持つ手を中央の画面に描き入れています。定冠詞の“ザ”は画面のバランスを崩さぬよう、Bの文字の隙間に小さく収められています。白抜きの文字は、支持体の地がそのまま使われ、それ自体は何もない空虚な空間となっているので、形として知覚されるものの、画像と文字とが同一画面上にある煩わしさを感じることはありません。文字の輪郭を形作る青色の濃淡による調子はバラの花のそれと呼応しており、三枚の画面が組み合わさってひとつの画面世界を創り上げているように感じられます。そのことは、ポスターを横向きしてみるとよく判るのですが、上下二枚の画面(=パネル)は中央の画面(=パネル)を隠す扉のようで、トリプティック(Triptych)と呼ばれる三連祭壇画と同じ形体を成しています。主題となる中央の画面に描かれている青いバラの図像は、その周囲に赤みがさし、太陽のように自ら光を放っているよう見えます。その姿のうちに、《奇跡を生み出すことになる美しさと気高さを持った神秘的な存在》を認める人もいるかもしれませんが、フォロンは不可能を象徴するとされる、実体のない不可視の存在である青いバラを視覚化し、そこに、《青いバラ》という名を冠した財団の、実在する状況こそが不可能の実体であり、そういう状況の中にこそ希望の光が灯されなくてはならない、という理念を表象化しようとしているのではないでしょうか。
ジャズギタリストのスティーヴ・カーン(Steve Kahn)は1987年に、この作品から受けた印象をもとに、“The Blue Rose”(アルバム「Local Color」に収録)というバラードを作曲しています。
一輪の花を捧げ持つ手のモチーフは他にもルノー・フェビュール財団(Fondation Renaud Febvre)のためのピンバッチ(ピンズ)や、フランスの知的障害を持つ子供たちを支援する協会、ペルス・ネージュ(Perce-Neige)のための年賀状などに使われています。1985年に設立されたルノー・フェヴュール財団は子供の先天性心疾患と闘い、人工心臓開発のための生物学的調査・研究を行なっている財団で、その活動は、心臓を象徴する赤いハートの花を捧げ持つ手のうちにシンボライズされています。フォロンは1997年にこの財団への寄付を募るポスターのデザインを行なっており、その原画がピンバッジの元絵になっているのではないかと思います。