フォロンの挿絵本「Vita, anche sentimentale, di Folon」 |
“虎は死して皮を留め、人は死して名を残す”と言います。虎には自分が“神の化身”とかというような自覚などなく、皮を残すために自らの命を捨てるわけではないので、ずいぶん身勝手な論理かと思いますが、人として自分の死後になにが残るのか(自分は何を残せるのか)気になるとすれば、それはかなりの自尊心を持った人物であると言えるでしょう。大抵の人は子孫を残すことで自己の人生の記憶が受け継がれていくであろうと、漠然としながらも、ひとしきりの安寧を得ているのかもしれません。一方、幸いにして、あるいは不幸にして、ある程度の財産(借金)、地位(恥)、名誉(不名誉)を得た(負った)人については、生前の業績(所業)によって、死後その人の生き様が語られることになるでしょう。とすれば、わたしのように自らは何も持たない人間は斯く語られるのか、全く省みられることなどないのではないか、と、今を生きることさえままならる状態であるにもかかわらず、つい死後のことまであれこれ思い悩んでしまうことになります。
ましてや今手元にあるガラクタがわたし自身の悦び以上に一体いかほどの価値を持つのか、考えても仕方のないことかもしれません。自己の名が名画とともに語られることを望んだある財界人は、死んだら名画も一緒に燃やしてくれ、と言ったそうですが、大会社の社長という肩書きよりも、美術コレクターとしての姿こそが、偽ざる本当の自分の姿である、と思っていたのかもしれません。ところが悲しいかな、自分の愛したものが身の回りのものにとっても金銭以上に価値あるものであることは稀で、大抵は迷惑至極なものであることを覚悟しておかねばなりません。殊に書画骨董の類いは、遺族にとっては眼の敵も同然の代物であることが多く、情けないくらい悲しい扱いを受けるのが世の常。運良く幾ばくかの金子と交換できたなら、多少の罪滅ぼしにはなるのかもしれません。
人伝に聞いた話ですが、昨年9月に肝臓癌で亡くなった図書館員で美術史家の気谷誠氏所蔵の挿絵本と版画が、この18日、古書を専門に扱うアルド社(ALDO)でオークションに掛けられます。近代的な都市に巣食う文明の病魔をいち早く感じ取り、人と神とが別ち難くあった中世の姿を留める建築物に精神の救いを見出し、変わり行く19世紀のパリの街並を執拗に描いたシャルル・メリヨンの版画も数点出品されるとのこと。氏はメリヨンのパリを全て所有していた筈なので、残りは既に国内のコレクターの手に渡ったのかもしれません。生前二度ばかり食事をご一緒させていただいたことがあり、メリヨンの版画展が国内の美術館では一度も開催されていないことを嘆いておられました。わたしはまだメリヨンのパリを全点見たことがなかったので、氏のコレクションを拝見させていただきたきかったのですが、氏の死により叶わぬ夢となってしまいました。今わたしの手元には、氏に見ていただきたく手に入れた「サンフランシスコの眺め」が、静寂の闇のなかで、決して訪れることのない来訪者を待ちつづけています。奇なる縁か、時を置かずして4月21日には、昨年12月1日に亡くなった詩人で小説家、そして美術コレクターでもあったジオルジオ・ソアヴィのコレクションが、世界の主要都市にオークション会場を持つサザビーズ社のミラノ支店で午後6時より競売に掛けられるとのこと。ジオルジオ・ソアヴィは、1923年、イタリアのブローニ生まれ。1948年に、オリベッティ社の二代目で、今日のオリベッティ社を築き上げたアドリアーノ・オリベッティ(Adriano Olivetti, 1801-1960)に編集者として推薦され、オリベッティ社が支援するコミュニティ誌「コムニタ(Communita)」の編集に関わることになります。二年後の1950年、オリベッティの娘リディアとの結婚を機にオリベッティ社の文化部に所属し、画集、カレンダー、デスクダイアリー等の編集やピクチャーフレーム、灰皿、卓上時計などのノベルティグッズのデザインにも携わりました。フォロンとのコラボレーションは、ポスターはもちろん、灰皿、マグカップ、ジグソーパズルなどのノベルティグッズのデザインから、1967年の画集「メッセージ」、1968年の卓上ダイアリー、1971年のカレンダー、1973年と79年に出版されたフォロンの挿絵本「変身」と「火星年代記」の編集まで多岐に渡っています。今回のオークションには、フォロンの傑作との呼び声も高い「変身」の原画11点と1971年のカレンダーの原画を含むフォロンのオリジナル20点が出品されるとのこと。「変身」の原画11点はセット売りではなく、より大きな利益を得ようとするオークション会社の思惑により、4点組のロット二組と3点組のロットに分割され、4点組のものは10000~15000ユーロ、3点組の方は6000~8000ユーロのエスティメイトが付けられています。誰かが3つのロットを全て落札しなければ、フォロンの「変身」の原画は永遠に別れ別れになってしまう可能性があります。とはいうものの、現在我が手にはフォロンの傑作を救い出すための資金が全く無く、ただ指をくわえて成り行きを見守るばかりと相成りそう。結果は追って報告いたします。
そのフォロンとソアヴィによる挿絵本が1970年にミラノの書店から出版されていたことを知る人は、少ないようです。十年近く前に一度、イタリアの古書店の在庫リストに載っていたのを発見したのですが、たいした説明もないわりには結構な値が付けられていたので購入を見送ってしまったのが最後、今日まで一度も売り物に出会う機会が全くありませんでした。その挿絵本「Vita, anche sentimentale, di Folon」(Milano Libri,1970)を、ようやく手に入れることができました。出所はやはりイタリアで、前とは別の古書店のリストに載っていたのですが、時間が経っていたことから半ば諦め気味で注文を出したところ、在庫ありとの返事。念ずれば何とか、、、ではありませんが、諦めずにいれば吉兆がもたらされるとの意を強くした次第。手に入れたのは赤い表紙が目を引くイタリア語版、限定1000部のうちの一冊。その後すぐに青い表紙のフランス語版が同じ書店から売りに出されたので、間髪いれずに注文を出し、こちらも入手。
この挿絵本に添えられた10点のデッサンは、モノクロのペンデッサンを青一色で着色するという、ソアヴィの着想をフォロンがイメージ化した「メッセージ」(1967年刊行)のスタイルを引き継ぐものですが、「メッセージ」のようなひとつのテーマに沿って描かれた連続するイメージではなく、10点のデッサンそれぞれが独立した作品として挿入されており、現代社会に生きる人間を大きなテーマとしていた、フォロンのアイデアが示されたのもと考えられます。ここで試された構図はその後、版画作品や、本、雑誌の表紙絵などに転用されていくことになります。フォロンのデッサンはリトグラフで刷られており、ベタで刷られた青は、当時フォロンが版画手法として最も興味を持っていた、シルクスクリーンようなフラットな質感という目論見からすると、成否相半ば、と言った感でしょうか。しかしながらフォロンはもともとリトグラフ作品を制作する意図は持っていなかったようで、本の奥付には、フォロンのオリジナルデッサン10点としか記されていません。刷りを行なったのは、Taipografia Scottiという、タイポグラフィーの印刷を専門とするミラノにある印刷所ですが、同時にリトグラフ印刷も手掛けており、注文が増えるにつれ、その後、Taipografia lithografia A. Scotti srl と名称を変更しています。
追記:2009年4月28日
4月21日に行なわれたのオークションの結果:1ユーロ=130円で換算
挿絵本「変身」の原画4点組の方は、17500ユーロ(227万5千円)と16875ユーロ(219万3千750円)。3点組は、13125ユーロ(170万6千250円)。1971年のカレンダーの原画は、10000ユーロ(130万円)。