フォロンの銅版画「La Naissance」 |
物質文明によって生み落とされる都市という生き物。それを育て、大きくするために破壊、消費されていく自然の命と、その命の循環に無関心になっていく都市生活者。その姿を否定的に眺めていたフォロンが、都市に対する自然の存在として好んで取り上げる木。建築という自らが目指した世界に決別した後、デッサン家をめざし、フランスの片田舎に小屋を借りて住む頃には、「都市」と「自然」を、相容れない、対立項として捉えようとする姿勢がすでに生まれていたのかもしれません。
木のイメージはすでに60年代初期のデッサンのなかに現われおり、1968年にシルクスクリーンを使って制作された版画シリーズ「森の連作」(限定20部)のなかで、主要テーマとして大きく取り上げられることになります。この銅版画は、そのシリーズのなかの一点を基にしており、フォロンは人間の胎児の姿と、まるで脳の神経細胞のように、胎児の頭の中一杯に枝を張る一本の木というダブル・イメージを使って、自然の一部である人間の生命の誕生と、自然の生命を育む思想の誕生という自らの思想を、この幻想的な作品のなかで視覚化しようとしています。そして、一本の木が集まって林となり、さらには大きな森すなわち普遍的な思想になっていく姿を思い描いていたのかもしれません。
水彩画集「La Mort d’un arbre」に掲げられた言葉「本、それは一本の木の死である」は、「思想、それは一本の木の誕生である」を逆説的に語っている言葉ではないでしょうか。
胎児を絵のなかに描いた例としては、ムンクが1893年から1902年にかけて制作したリトグラフ「マドンナ」のなかで、マドンナの回りに精子と共に描かれた胎児ぐらいしか思い起こせませんが、フォロンの作品との絡みで考えるならば、1969年公開のSF映画「2001年宇宙の旅」(A.C.クラークのSF「地球幼年期の終わり」を下地に映画用にアレンジされたもの)に出てくる、宇宙空間を漂うスター・チャイルドと呼ばれる胎児は、超越する存在との邂逅へて新しい精神的存在へと変容する人類の姿を描いているという意味において、どこかしらフォロンが描いた胎児と合い通じるところがあるのではないかと思えます。
この銅版画「La Naissance(誕生)」の出版者である、ベルギー・ブリュッセルのギャラリー、Galerie Vokaer(Editions Michel Vokaer)は、1977年にフォロンの版画展を開催しています。