フォロンの画集「Gionale di Bordo(Ships' Log)」 |
「Gionale di Bordo(航海日誌)」は、1853年にイタリアのミラノで運送業を始めたアンドレア・メルザリオ社の150周年を記念する私的刊行物で、主に同社の関係者に配布されたものではないかと思われます。英訳版も刊行されています。フォロン(1934-2005)と1960年代から友人フルヴィオ・ロイター(Fulvio Roiter 1926-)、そしてエンツォ・ビアージ(Enzo Marco Biagi 1920-2007)という、40代,50代、60代の三人による航海は、1983年6月にメルザリオ社のコンテナ船《Comandante Revello》に乗船し、イタリアのアンコーナ港から、クレタ島を経由し、スエズ運河を抜け紅海に出るコース。途中、カイロとルクソールで遺跡見学を行なっています。フォロンはスケッチブックと色鉛筆を持って乗船し、船上の様子や船上から見た景色をスケッチしていますが、その描法や色使いは、ミルトン・グレーザーと同じ年に制作した画集「会話」に近しいものを感じさせます。またイギリスからアメリカ西海岸に移住し一気に色彩を開花させたデビッド・ホックニーのヴィヴィドな色彩と正確で簡潔なフォルムも脳裏をよぎります。とは言え、フォロンの心の奥底には、1928年から翌29年にかけて、ほぼ同じような航路を辿りエジプトへ旅行したパウル・クレーの存在があったと思われます。2002年に開催された『旅のシンフォニー パウル・クレー展』図録によると、「12月17日に(バウハウスのある)デッサウを出発したクレーは、19日にジェノヴァから船に乗り、ナポリ、クレタ島を通過して24日にアレキサンドリアに到着。まずカイロに数日間滞在し、ルクソールへ拠点を移して周囲の神殿を見学した後、アスワンまで足をのばし、帰りはシチリア島を経由して17日にデッサウに戻ってきた」とあります。そしてその旅行では「珍しい植物や鳥たち、博物館に展示された発掘品の数々、水平に積み重なってピラミッドを形づくる石の階段、広大な砂漠に沈む美しい夕日など、エジプトの自然と偉大な文明にクレーが深い感銘を受けた」ことは取りも直さず、フォロンのエジプト体験に重なります。
歴史と自然が渾然一体となったエジプトに絶え間なく降り注ぐ太陽の光がもたらす豊穣な色彩の乱舞と洪水は、北方の冷たい光の重力により知の器の中に沈潜し顕れ出ることのなかった生命の輝きを文明の呪縛から解き放ち、同時に色彩の狂おしいほどの息遣いをそこに感じる体験を通して、クレー、そしてフォロンに、それまで見ていた世界とは異なる世界が同時に存在し得る認識と、色彩と形態に肥沃な土壌をもたらしたことは間違いありません。
フォロンの旅より四年遡る1982年に、デヴィッド・ホックニー(David Hockney 1937-)が同国の詩人で、小説家、随筆家でもあるステファン・スペンダー(Stephen Harold Spender 1909-1995)と連れ立って中国を旅行し、改革・開放前の中国の姿を写真とスケッチに収めた「China Diary」(Thames & Hudson Ltd,London)が刊行されており、フォロンの「Gionale di Bordo」もホックニーの「China Diary」もともに文章と写真とスケッチを組み合わせた形式で構成されていることから、フォロンがホックニーのスケッチ帖に何らかの刺激を受けた可能性も無くはありません。