フォロンのポスター「Paris vu par」 |
フォロンの第二作目となるポスターは、1965年に公開された、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する六人の監督によるオムニバス映画「パリところどころ」の広告用ポスターで、前の年にデッサンの初個展を開催したばかりのフォロンにとって、コマーシャル・ベースの仕事としては最初のものです。
黒、白、青みがかった灰色の三色で刷られたポスターの上部には、この映画とは直接関係のない?正面向きの一匹の猫が描かれています。その下には、大きな空間を取って、題名、監督名などのタイポグラフィーが配置されています。黒塗りの背景、回りに溶け込んだ姿、大きく見開い目は、この猫が暗がりにいることを示しており、その光る目の中には、パリの街を象徴するエッフェル搭が描き込まれています。
この風変わりなモチーフは、暗くなると物の見分けが付かなくなるという意味のフランスのことわざ「夜は全ての猫が灰色に見える」を視覚化したようにも見えますし、また、六つの話の中で描かれる、様々な人間模様において露わになる人間の姿の比喩として、猫に帰される幾つかの図像学的な意味(娼婦、若い女性、欲望)が使われているのではないかとも思えるのですが、、、もしそうであれば、目の中に描かれている、この映画の舞台となっているパリの街も、猫の目の喩えのごとく、くるくると変わるという、一種謎解きにも似た趣向が用意されていることになります。ましてや、この猫の姿にスフィンクスが重ね合わさって見えるとなれば、、、
こんなフォロンのアイデアやユーモアを、誰もが分かって見ているわけではありませんが、近付いて見ると、見る側の視線は自ずと猫の眼の中のエッフェル搭に引き寄せられ、その形を強く印象付けられることになります。その結果、エッフェル搭と猫との関係に関心が向く!?ことになります。ただし、それをどう捉えるかは見る人の自由な解釈に任されています。なので、大抵の場合、フォロンが期待したものとは違う結果になってしまうようです。
フォロン自身は、猫とエッフェル搭の組み合わせの中に、映画ポスターとしての要件を満たしながらも、ポスターが、単に情報を伝達する媒体ではない、自分の想いや考えを見る側と共有できる装置であることを、この時、発見したのかもしれません。かつてフォロンの先達のブリューゲルが、ネーデルランドのことわざや格言を、自己の作品のいたるところに盛り込んだように、図像とそれに込められた意味を読み解く愉しみが、現代美術の世界で忘れ去られようとしている今日、知恵の文化の復権とまでは言わないにしても、作品を通して行われる対話の中に、作家と見る側との精神的な交感の場を作り上げようとするフォロンのスタイルが、すでに、このポスターのなかにあります。
この映画のプロデューサーを務めたのは、当時若干24歳の青年、Barbet Schroederなのですが、彼も、このようなフォロンの才能に早くから気付いていた一人かもしれません。フォロンはその後、映画ポスターのデザインを幾つも引き受けることになるので、このポスターの評判はなかなかのものだったかもしれません。