フォロンのポスター「Chapeau rouge no.1」 |
1972年、フォロンの個展がボルドーの“Chapeau rouge(赤い帽子)”と名付けられた並木通り沿いにある書店兼画廊 Galerie Librairie du Fleuveで開催されています。その告知用に制作されたシルクスクリーンポスター「Chapeau rouge no.1」は、画廊の名前と、所在地の“赤い帽子”を主題にデザインされています。
画廊の名前となっている“Fleuve”は“途切れることのない流れ”という意味を持つフランス語ですが、フォロンは、青い帽子に青いコートというフォロン作品ではお馴染みの格好をした男たちがつぎからつぎに現われるという構図によって,それを表現しています。その流れの中心に一人だけ赤い帽子を被った男がいるのですが、青い帽子の男たちは正面を向き、赤い帽子には気付かず、流れのまま進んで行きます。ただ横にいる三人だけはこの異変に気付き、流れに抗うように赤い帽子の男のほうを向いています。
一方“Chapeau rouge”(赤い帽子)は枢機卿を表わす俗語で、ローマ・カトリック教会の枢機卿がバレット(Barrette)と呼ばれる赤い帽子を被っているとこらから派生しているのだそうです。とすれば、この赤い帽子の男はアレクサンドル・デュマの「三銃士」に出てくる枢機卿リシュリューに見立てられており、三人はアトス、ポルトス,アラミスの三銃士となります。ワインの生産や交易で栄えたボルドーでは現実主義的な新教(プロテスタント)を信仰するものも多くいて、カトリック教会のもと王権の絶対性を唱え、新教徒をやっきになって弾圧しようとしていたルイ13世の宰相リシュリューとは相容れず、反王室の旗頭でもあったようです。リシュリュー没後、マザランが宰相となっていた1648年に起こったフロンドの乱では、上流階級や庶民とともに、農民や中小商人が結成した「楡の木同盟」が結集し、パリとともに王室に抵抗する二大勢力でしたが、1653年に王室との戦いに敗れた後はフランス国王の支配下の都市となります。したがって、リシュリューに対する三銃士という構図は、王室とボルドーとの関係を準えていると言えるのではないでしょうか。
今では、ボルドーの赤ワインは有名ですが、その名を知らしめるきっかけをつくったのが、宰相リシュリューの甥の子にあたるリシュリュー元帥で、彼の宮廷での喧伝によるところが大きいというのは歴史のいたずらでしょうか。
赤い帽子はタイポグラフィーのFOLONの文字色とも呼応しているので、この赤い帽子の男はリシュリューである同時にフォロン自身でもあると考えられ、フォロンとシャポー・ルージュとの関係性すなわち展覧会を示唆するものにもなっています。
ルドンやブレダンが生きた場所を見てみたいという気持ちが心の片隅に少しばかりあって、一度だけボルドーを訪れたことがあります。ボルドーのはずれにある駅周辺は随分閑散とした印象を受けたのですが、中心部に入ると、かつて三度もフランス政府が置かれただけのことはある?フランスでも有数の大都市が現われ驚かされました。市内のワイン専門店で偶然にもフォロンがラベル(エティケットと言うらしい)のデザインを手掛けた赤ワインを見つけ、下戸にも拘らず記念に一本購入し表に出ると、今度は近くの建物の壁に4x3mぐらいの巨大なフォロンのポスターを発見。偶然にしては出来すぎていて怖いと思ったものの、なんとか手に入れたいという誘惑に駆られ....やはり病魔に冒されていると自覚したのが、ちょうど20年前の5月、チェルノブイリで大変な事故が起きた年です。そのポスターですが、またすぐ見つかるだろう思っていましたが、あれ以来一度もお目にかかっていません。
「Chapeau rouge no.1」には続編があり、「Chapeau rouge no.2」として1974年の個展の際に制作されています。こちらのポスターはまだ入手しておりませんが、もう一人の主人公が加わった作品になっているのか見てみたいものです。