フォロンのポスター「Musee Picasso Antibes」 |
南フランスのアンティーブにあるピカソ美術館は、もとはグリマルディ城という名が付いていたのだそうですが、ピカソが1946年にアトリエとして借り受け、そこで制作した作品を永久に貸与するというユニークな形の美術館になっています。ピカソ美術館のあるアンティーブを含めて、南フランスは有数の保養地であり、また多くの観光客が訪れる場所です。画家たちにとっても、そこは特別な場所であったらしく、マチス、シャガール、ピカソといった20世紀の巨匠たちもそろってアトリエを構えています。そこでは光が世界を造り出し、すべての色が光そのものに収斂していくのかもしれません。色彩は形態に付き従うのではなく、色彩そのもが形態となるのです。「自然はすなわち光の創造物である」と感じたフォロンは巨匠たちに見習い、ピカソ美術館での展覧会の後、モナコで作品制作を行なうようになります。
1984年に開催されたフォロンの展覧会は、水彩、デッサン、版画200点によるかなり大規模なものだったようです。その展覧会の告知用ポスターとして制作されたのが「Musee Picasso Antibes」です。この時期(1983年~84年)に制作されたポスターには、赤、青、緑の原色を意識的に用いたものが何点かあり、ピカソ美術館のポスターもその内のひとつです。フォロンは、色彩が根源的には光の要素であるという観点に立ち、世界の姿を、光の三原色でも赤、青、緑、そして光そのもである白によって視覚化しようとしています。フォロンにとって形態は事物を形取るために用いられる器としての機能を離れ、言語学的な存在として、あるひとつ意味を参照する記号となり、それが文法的に絵画であることを成立させるための仮説的構造を付与します。従って、決して三次元空間の平面への移し変えを通して、現実と画家によってもたらされた絵画的空間における概念地的統一をめざすものではありません。形態を内容とは別のコンテクストで捉え、色彩によって表わされる純粋な平面性を成立させようとしたロイ・リキテンスタインも、晩年には、事物を色彩そのものから成る存在として、形態という言語学的存在の拘束から解放しようとする試みを行なっています。それは、イメージ⇒言葉⇒概念という外界の認識過程を超える世界を有りのままに受け入れようとする人間本来のあるべき姿であるのかもしれません。
その意味では、フォロンの作品に頻繁に登場する正面を向いた人物像は、主題として画中の図の役割を果すのではなく、むしろ絵画という形式を仮りに成り立たせるための記号として用いられる場合が多く、このポスターでも人物の表情自体には何の特徴もなく、見る側の視線が向かう先は、渦巻状の人物の頭部から翻る帯と、その赤と青の面のそれぞれに、ステンシルの技法を使って刷り込まれる書体で書き込まれた“MUSEE PICASSO”と“FOLON”の文字です。鮮やかな赤と青はアンティーブの”太陽”や“海”という自然を表わしているかもしれないし、あるいは、赤が動的なピカソを、青は,静的なフォロンというように、二人の作家の気質も表わしているのかもしれません。では、どれが本当なの?と、フォロンに問えば、彼は二つとも正解でもあり、そうでないかもしれない、と答えることでしょう。彼は自らの考えや想いを作品に込めはしますが、そう見るよう強要することはありません。見る側がそう感じることができれば、そのように答えてくれるのです。作品を通して、自らの体験に想いを馳せることもできるでしょうし、まだ見ぬ世界に憧れを抱くことも可能なのです。もし赤と青が太陽や海といった自然を表わしているのだとすれば、赤と青の間に影のように寄り添う緑は、言うならば大地に生える木々といったところでしょうか。そして、この三つの色は光の三原色を構成しており、帯にレタリングされた白抜きの文字は、いわば光の文字広告として見る側にピカソ美術館とフォロンを強く印象付ける役割を果しているように思われます。
ご存知かと思いますが、フォロンは告知用のポスター以外にも、ピカソ美術館のために、三種類のポスターを制作しています。水彩絵の具だけを使って描かれたこれらのポスターは、1985年に日本で開催された展覧会でも公開され、同時に、フォロンがポスターの原画となった水彩画を制作する模様を収めたビデオ映像も展覧会場で流されていたので、ご覧になった方もいるのではないでしょうか。“渦巻”(Spirale)と題された作品は、告知用のポスターと同じく、人物の頭部が渦巻状になっているのですが、それは厚い城壁に囲まれたグリマルディ城と城内の曲がりくねった道があることを表わそうとしているのかもしめません。あとの二点はいずれも”アンティーブの鍵”(Les clefs d’Antibes)という題が付けられており、それは文字通り、城と町の鍵を示しているように思えるのですが、アンティーブの顔となる(戦略的な)“要害の地”としての城と(文化的な)“要所”である美術館の比喩として使われているとも考えられます。この二点には絵皿に見えるように縁飾りが施してあり、鍵穴が絵模様として描かれています。フォロンは、ピカソが制作し、美術館にも展示されている陶器に触発され、彼らしい絵皿を実際の陶器ではなく水彩画で表現しようとしたのかもしれません。水彩絵の具の滲みの濃淡だけで作り出された、感傷的な情感を湛える夢幻的な色彩は、フォロンのクレーの色彩への憧憬とも見て取れますし、言葉に置き換えることのできない心のふるさとのような場所へと私たちを導いてくれます。