フォロンのポスター「Biot」 |
南フランスには、外敵の侵入を防ぐために急斜面の上に家を密集して建てたことから、“鷲の巣村”と呼ばれる集落が幾つもあるそうです。その内のひとつ、人口1600人ほどのビオット(Biot)はかつては「ジャール」と呼ばれる陶製の壷の産地であったそうですが、現在は吹きガラスの技法で作られるガラス工芸が盛んで、作品を取り扱うギャラリーも数多く建ち並ぶ芸術村として名を馳せています。この村にある一つ星のホテルGalerie des Arecadesは、村人や観光客で賑わうレストランのほか、アート・ギャラリーも併設しており、ガラス工芸作家の作品展が開かれたりしています。そのギャラリーで1990年、フォロンの個展が行なわれています。この展覧会の告知ポスターには、1981年の「Steve Kahn」の制作の際に考案された、ポスターの原画となる水彩画に宝石をコラージュする手法が、再び使われています。
画面には背中に羽を付けた人物が描かれており、それは見ての通り蝶を連想させる姿をしていますが、蝶そのものを指し示すものではなく、蝶の生態に派生する意味に置き換えられて、季節の風物詩、また代名詞であったり、蝶のような姿に準えられたりするものを示す記号として用いられています。この場合、それはフランス人にとって最も大切な(ヴァカンス)シーズンの到来を告げるものであると同時に、Affichiste(ポスター図案家)としてのフォロン自身でもあるのです。ご存知の通り、フランス語で蝶を表わすパピヨンという言葉は、風にひらひら舞う様子が似ていることから、広告ビラやポスターを比喩的に表わした言葉としても使われており、フォロンは、自然界の蝶と人工的な蝶=ポスターを同時に指し示す視覚言語として、このモチーフを創り出したのです。蝶の触覚としての、伸ばした手の先には、彼自身であることを告げる、FOLONの文字があり、その文字を取り囲むように、七つの宝石が散りばめられています。この七つの宝石を線で結ぶと、北斗七星の形になります。蝶が舞う頃、日本人観光客も多く訪れるという地中海に面した山の頂きからは、北斗七星が、手を伸ばせば届きそうなほど真近に見えるのかもしれません。
「Steve Kahn」にも使われていた、Cabochonと呼ばれる頭が丸く磨かれた宝石は不思議な映像を映し出しています。宝石は、左右の羽にそれぞれ2個づつ、アルファベットの“O”の文字の代わりに3個、合計七個コラージュされていますが、どの宝石にも同じように、窓ある部屋の光景が映像として映し出されています。この円い宝石、実はフォロンの目の役割を果していて、彼の目に映ったホテルの部屋あるいはギャラリーの様子が、そこに映像として映し出されているのです。このアイデアの原型は、17世紀のオランダの静物画、いやもっと古く、ファン・アイクのあまりにも有名な油絵「アルノルフィニ夫妻の婚約」の画面奥の壁に掛けられた鏡(当然描かれたものですが)に映し出された光景にあることは間違いありません。いすれの場合も、その意味するところは違っていたとしても、「現場の目撃者」としての証拠を残そうとする、人としての画家の存在をみるようです。一方で、19世紀に発明された写真によって、映像と複製の世紀となった!20世紀において、絵画と写真は、真実なるものの現出のなかに普遍的な美を見い出そうという幻想に囚われる余り、鏡に映った互いの後姿の向こう側に自己の存在を観ていた時代であるのかもしれません。コラージュされた宝石の数はシーズンの始まりを示す七の月を告げていますが、ちょっとオカルトっぽいですね。
彩度を抑えた水彩絵の具の滲みによる文様は、どこか儚さを漂わせているようで、モノクロの画像に変換してみると、生物も自然も移ろい定まることない無常の存在として、心で感じ観た“もの”の姿を描いた、水墨画を見ているような感じを覚えます。それは、フォロンの精神が、西欧的な合理性よりも、東洋的な墨の濃淡の中に表わされる“余情をともなう感動”ようなものに通じているからかもしれません。
ポスターの刷り(フォロンはポスターも版表現のひとつと見なしていたので)は、1932年に陶器の産地として名高い南フランスのヴァロリスに設立されたImprimerie Atneraで行なわれていますが、この印刷所は、創業者のIdalgo Arneraが1954年にピカソと出会い、ポスターから版画作品まで、ピカソのすべてのリノカット作品の刷りを行なった印刷所として有名です。ピカソはリノカットの版材である1枚のリノリウムを色数に応じて段階的に掘り進む技法を創案、彫った順に逐次刷りを行うことで、多色刷りリノカットを創りり上げています。その技法を現代に受け継いだ!?のが、1989年に導入された5色刷りのオフセット印刷機、“Heidelberg Speedmaster”で、「Boit」の刷りには、この印刷機が使われています。