フォロンのポスター「Semaine internationale du commerce」 |
水彩画を原画とするこのポスターの題名は、「貿易に関する国際週間」とでも訳すのでしょうか。その下に、《Avec le concours del a Banque Populaire》とあるので、フランスの大手民間銀行、Banque Populaireがスポンサーとなって行なわれた催しのようですが、同じ原画を表紙絵に用いたガイドブックが見つからず、詳しいことは分かりません。描かれているのは、二つに割れたフラン硬貨の間から顔を覗かせようとしている赤ん坊です。それは、見ての通り、その当時のフランス通貨であるフランの置かれている立場と、新しい通貨が生まれようとしている状況を示したものです。この催しが開催された1985年当時、EC(ヨーロッパ共同体)はすでに域内の関税を撤廃しており、さらに決済のための通貨を、為替変動の影響を受けないものに移行する段階に入ろうとしていました。それはフランスの通貨が市場統合により廃止されることを意味するものでしたが、この時点では、フランに代わる新しい通貨の姿・形は、顔の一部と片方の手にか見えておらず、通貨として実像を得るには、まだ暫らく時間を要するであろうというのが、大方の国民の見方でした。
フォロンが取り上げたフラン硬貨に使われている「種をまく人」は、1897年に、メダル彫刻師のOscar Roty(1846-1911)がフランス政府の依頼により制作したもので、さまざまな象徴的意味を持つとされ、フランスで最も知られている女性像のひとつだそうです。実際のフラン硬貨はニッケル製で銀白色をしているのですが、フォロンはそれを青色に変えて描くことで、イヴ・クライン(1928-1962)が、「青は次元を超える」と定義し、非物質的なものを表象させようとしたように、フラン硬貨を、現実の貨幣として意味だけでなく、通貨という概念的存在であることも同時に示しています。また子供の目の色と呼応させることで、両者の関係性に注意が向かうように図っています。
通貨はその国の主権的存在であり、また貨幣は国力を象徴するものだそうです。その貨幣が切り替わるのは、国の経済が破綻し、対価としての貨幣価値が失われた場合と、通貨の切り上げ・切り下げによって通貨の単位が変わる場合とがあります。1969年以来、域内における経済通貨統合を目指してきたECは1979年、単一通貨による市場統合に向けてEMS(ヨーロッパ通貨制度)を発足させ、EC各国の通貨当局間の決済手段となるヨーロッパ通貨単位、エキュ(ECU=European Currency Unit)を創出しました。そして各国通貨の為替変動の幅を一定の範囲内に収めることで安定的な通貨圏の実現させると、単一通貨の導入を図る方向へと具体的に動き出しました。1986年、EC加盟12カ国はEU(欧州連合)を結成し、1999年、エキュは通貨としてのユーロ(EUR)へと移行します。
割れたフラン硬貨の間から顔を覗かせようとしている子供は、1985年時点では、ECUという、実際の通貨ではない、ヴァーチャルな存在を示していることになります。しかしながら、もともと貨幣は、言語によって対象化された、人間の外に在る無量の世界のありとあやゆる事象が、有限の存在である人間の空想による国家や社会という仮想の世界のなかに落とし込まれ、クラインの瓶のような二重構造を成立させるために作り出した度量計であり、労働によって得られた報酬も、売買によって得られた利益も、全て階層的に平均化された量としての交換価値を物理的に表したものと言えます。今では国民の大半がクレディットカードを所持し、またコンピューターを介した電子マネーの普及が進めば、これから増々貨幣を持たない生活になっていくことが予想されます。そのことによって、“もの”の価値を決定するために、貨幣に与えられていた交換機能を行使するという神聖な儀式が、この手から失われることになり、実像を持たない貨幣制度が現実世界の中に出現することになるのかもしれません。それは、私たちが見たり、聞いたり、感じたりすること根底に在る、死への抗いとしての生の営みそのものにも何らかの影を落とすことになるのではないでしょうか。かつては実体を持たない経済の論理が、生身の人間の生を空洞化させましたが、今度はヴァーチャルな世界が、ひとつひとつの生の営みを消し去っていくことになるのでしょうか。