フォロンのポスター「Editions/Galerie Marquet(2)」 |
フォロンのシルクスクリーンポスター「Editions/Galerie Marquet」にも、これまでに紹介してきたポスターと同様、色調を変えて刷られたものがあるのですが、同時にタイポグラフィーにも変更が加えられており、これまでに三種類を確認しています。フォロンのシルクスクリーンは、墨で描かれたデッサンをフィルムにトレースしたものを主版としており、それをもとに色版を作ります。グラデーションを用いて刷られる部分は、フォロンの指示とは別に、刷り師の技量によるところが大きく、刷り始めと終わりで色調に微妙な違いが出てきます。当然のことながら、一回のインク盛りで刷れる枚数は限られるので、版画作品のように限定数が少ないものは一回で刷り切ってしまう場合が多いのですが、ポスターの場合は1000枚ぐらいの摺刷数があるので、少なくとも数回のインク盛りが必要となります。単色の部分は問題ありませんが、グラデーション部分は多少のずれが生じることもあることから、全て同じ色調に揃えるのではなく、色調の異なるヴージョンを幾つか制作しているのです。しかしながら、それは単なる技術的な問題を解決するための方法で終わっているのではなく、色調の違いを作品の性格に反映させようとする、制作上の意図として用いられています。
フォロンの色使い、特に画面の背景に見られる特徴は、それが一日のうちのある時刻の空の様子を示していることが多くあり、殊に、夜明け前とか、夕暮れ、そして日没後に見られる、刻一刻と変わり行く空の景色が取り込まれています。それは誰の心も捉え、何かしらの感動を与えてくれるものですが、私たちは、その光景を、言葉に表わせない、人知を超えた何か神々しいものと見る敬虔さを忘れてしまっているようで、その現象を表わす言葉による概念的理解に阻まれ、見慣れたもの=記号化された認識に従いがちになります。このポスターでは、フォロンは少なくとも二種類(見方を変えれば四種類になります)の景色を描きだそうとしているのではないかと思われますが、主題となっているのは、摩天楼さえも眼下に見る、2001年9月11日まではニューヨークのシンボルであった世界貿易センタービルの間に綱を架け渡ろうとするフィリップ・プチ(Philippe Petit)の挑戦とその勇気です。
前に紹介した「Editions/Galerie Marquetは、雲ひとつ無く晴れ渡った青空を、ひとり鳥のように舞う冒険者、フィリップ・プチのクールさを描き出していますが、今回紹介するものは、背景の空の色が、青(紫)色から、紫色へと変えられています。時刻としては、太陽が西に傾き、空が赤みを帯びて来た頃でしょうか、眼下のビルは大きな影の中に沈み、輪郭を失いつつあるように見えます。冒険者は足の裏に感じる綱の反発だけを頼りに空間の上下と進む方向を知るのですが、そのことが、尚一層、彼の緊張と孤独を高めているのかもしれません。もうひとつのヴァージョンでは、青色は、綱渡りをする人物、画面下のFOLONの文字、それとマルケの頭文字を図案化したトレードマークだけに使われ、空の高い部分が少し青みを帯びていますが、背景全体は赤紫色に染まり、日没後に現れる茜色の空を表現しているのでしょうか。その結果、この作品のテーマであった「ハート」―フォロンはそれを赤いハート(心臓)で表わしているのですが―が画面の中に溶け込んでしまい判別するのが難しくなってしまい、画面は非現実的な様相を帯びてきます。赤紫色の大気は、最早この地上が人の住めるところではなくなり、死に絶えた都市の上を、危険を冒し、一本の綱を便りに逃れようとする人物―それは人類の行く末を暗示しているようにも思えますが―を浮き彫りにしています。しかしながら、仮にそれが自らの欲望の果てに造り出してしまった黙示録的世界の美しさであるとするならば、それは人類の永遠の死を象徴するかのように永劫不変なのかもしれません。であるならば、神は、かような美しさの中に再び現れ出るということなのでしょうか。見えなくなってしまった人の心の誠を知るために。
画像3,4:「Editions/Galerie Marquet」と「Editions/Galerie Marquet(2)」