フォロンの画集「Vue Imprenable - Essay on the World of Folon」 |
フォロンとその作品世界について書かれたジョルジオ・ソアヴィのエッセイ(原文はイタリア語)「Vue Imprenable(見晴らしのよい眺望)」の冒頭はこんな風に始まります:
―ある日曜日の朝、都市に住む人たちがまだベッドで眠りながら、何処かほかのところにいる夢を見ている頃、何杯ものコーヒーと彼の二つの唇の間を寝床とする煙草に火を付ける合間に新聞を読んでいたジャン=ミッシェル・フォロンが、ふとある広告に目を止める。広告の見出しは、“vue imprenablle”。続いて“For sale, farmhouse with surrounding garden and paddock only 60 minutes from Paris: unseizable view”(売ります、田園地域の庭園と小放牧地のある農家、パリからたった60分、掴みきれない眺め)と書かれていた―
1960年末まで住んでいたパリのアパートを引き払い、パリ郊外の小さな村、ビュルシの農場に移り住むことになるきっかけとなった広告の見出しの言葉、“vue imprenable”がこの本の題名となっています。フォロンからこの買い物に同意を求められたジョルジオ・ソアヴィが実際にビュルシの住居兼アトリエを訪れ、その様子を写真に収め、滞在中に見たり聞いたりしたことや感じたことをエッセイに綴ったものです。都会の喧騒や夥しい数の矢印に方向付けられながら生きている現代人の生活に嫌気が差していたフォロンは、この広告にある見晴らしのよい眺望という二文字に啓示を受け、そこに都市の生活の中で見失っていく生のあるべき姿を見い出します。その中で彼は、現代人の置かれた悲劇的状況を観察し、私たちが正しいと思っていることが絶対的なものではなく、視点を変えることによって別な様相を見せることを、彼が破壊と暴力を伴わずに提示する方法として選んだユーモアによって描き出そうとしています。
「Vue Imprenable」は1974年に、イタリア語版とフランス語版がそれぞれミラノのEdizioni Domus(ドムス出版)とパリのEditions Chêne(シェーヌ出版)から同時に出版され、一年後の1975年に英語版が出版されました。当初はイタリア語版に英語の妙訳が付けられていましたが、英語版を望む声が高まったため、ミラノにある別の出版社、Franca May Edizioni(フランカ・メイ出版)というところから英語版が出版され、「ジョルジオへの手紙」の配給も手掛けることになるバロンズ社がアメリカ国内の配給先となりました。
表裏の見返しには、それぞれフォロンが購入した農家を望む農場の様子を捉えたジョルジオ・ソアヴィのカラー写真が使われています。表は収穫後の畑、裏は緑の野菜畑の姿を捉えたものです。この画集には、1960年代末から70年代初頭にかけて制作された水彩画やシルクスクリーン版画のほか、ジョルジオ・ソアヴィがアート・ディレクションを行ったオリベッティ社の1968年の日記帳と、1973年にオリベッティ社から現代作家による贈呈本シリーズの一冊として出版されたカフカの[変身]の挿絵も収録されており、とりわけ「変身」の挿絵については、オリベッティ社から全作品を複製する許可を得て、若干寸法は縮められていますが、同じ印刷方法を用いて再現されています。焦げ茶色の布表紙に白色の題字を配した本の造りも「変身」の装丁に倣ったものですが、小さな図版を表表紙に貼り付けた「変身」とは異なり、フォロンが1993年に制作した水彩画「沈黙(Le silence)」を使ったブックカバー(ダスト・ジャケット)が付いています。
表表紙は、創生記にあるように、空と大地が一本の地平線で分けられ、まだ平坦な大地には視界を遮るものは何ひとつなく、空には昼と夜を分ける白い太陽が浮かんでいます。裏表紙に目をやると、土から造られた木偶の坊である人間が、その耳を地面に当てて、元の自分の声を聞こうとしており、その大地も、地表という鼓膜を通して、人となった自分の声を聞こうとしています。薄い地表の皮膜によって隔てられた両者を繋ぐ共通の言葉はなく、底知れぬ沈黙が世界を覆っているかのようです。都市を離れ、地を覆う緑の草や様々な実を付ける木が生えた地面が、楽園を追われ、神の国に倣って文明を築き上げようとする人間の業に幻滅を感じたフォロンにとって、帰るべき楽園に見えたとしたら、その楽園の中で作り出される一つ一つの光景は、フォロンが語る新たな創世記であるのかもしれません。