フォロンのスカーフ「Valesca/Mathias」 |
1837年創業のフランスの老舗ファッション・ブランド、エルメスを相続する三家族のうちのゲラン(Guerrand)家のマティアス・ゲラン=エルメス(Mathias Guerrand-Hermes)氏は、ニューヨーカーを地で行く人物で、投資顧問会社のアドヴァイザーを行う傍ら、セレブのスポーツ、ポロのプレイヤーとしても各地の大会に出場するほどの実力の持ち主なのだとか。そのマティアス氏が、ヴァレスカ・ドスト(Valesca Dost)嬢との結婚に際し、エルメス社に特注で作らせたシルクのスカーフのデザインをフォロンが行っています。
1998年5月12日、ニューヨーク在住の多数のセレブを初め、450人を超す招待者がパリ郊外のシャンティリー(Chantily)にあるヘルメス家の別荘に招かれ、6日間に渡る結婚披露宴の幕が切って落とされました。雑誌クエストの編集主幹を務めるクリスティーナ・スチュワートによる結婚式のレポートによると、最初の晩は、結婚式の前夜祭として、フラメンコをテーマにした祝宴が設けられ、御婦人達は、主催者側の要請で、金属性の細くて高い踵のついた靴を履き、髪を後ろに撫でつけたスタイルで出席。翌13日に、この式のために別荘の隣に建てられたニュー・イングランド様式の教会で、二人の結婚式が行われました。その後、二機の自家用ジェットを使い、パリからモロッコのマラケシュに移動、イヴ・サンローラン邸でのガーデン・パーティと駱駝を使ってのポロの試合が、三日間ぶっ通しで行われました。
“招待者は皆パシャ(太守)のような気分で、まるで別の時代いるようでした”と語るクリスティーナ・スチュワートは、マラケシュに着いた後、花婿に“(あなたは)ここで名を上げるために招待者全員にエルメスのケリーバッグを引き出物として用意しているんでしょ?”と、自らの願望とも思える質問をぶつけたようですが、招待者が持たされたのは、エルメス特製のシルクのスカーフだったと語っています。確かに、エルメスの名はグレース・ケリーやジェーン・ヴァーキンの名を付したバッグによって高められましたが、花嫁の名を付したものではないわけで、総売上の40%を占めるスカーフを選んだのは当然の選択であったと言えます。特注品ということからか、当のスカーフにはエルメスの名はクレディットされてはおらず、素材の表示(Soie)と生産地(Made in France)を示すタグだけが付けられています。
フォロンは二人婚姻を、大空を自由に舞う二羽の鳥を使って表現しています。一輪のハート型の花を捧げ持つ仕草に、愛を捧げる意味が託されていることは誰の目にも明らかです。スカーフは絹地にシルクスクリーンでプリントされています。二羽の鳥の周りには、15,6世紀頃の図像にしばし登場するような古風な趣を感じさせる、風にそよぐ二本の吹流しがあしらわれ、片方には二人の名(ValescaとMathias)、もう一方にはマラケシュに到着した日付(1999年5月14日)が記されています。
ここで紹介するスカーフの持ち主が誰であったのか特定できませんが、このように当事者の名が入れられたものは、たとえそれが実用品であっても使われることはあまりなく、昔は箪笥の肥やしに、昨今はネット・オークションで売られてしまうこともままあります。このスカーフも、まさしくその様な運命をたどり、我が手中に収まったという次第。スカーフを譲ってくれた前の所有者は、このスカーフは平和をメーッセージにしたものだと説明していたのですが、吹流しに記された名前を検索するうちに、ニューヨークタイムズ誌に掲載されたセレブたちの結婚式に関する記事を見つけ、そのあらましを知ったという次第。
余程ケリーバッグが欲しかったのか、クリスティーナ・スチュワートはこのスカーフのデザイナーであるフォロンについては何も言及していませんし、フォロンとゲラン=エルメス氏との関係を示す文言も一行もありません。ではフォロンはいつどこでゲラン=エルメス氏との知己を得たのでしょうか。フォロンとファッション業界との関係は、1968年に手掛けたキャシャレルの広告ポスターまで溯ることができます。そのときは顧客とデザイナーといった関係にすぎなかったようですが、その後フランス各界を代表する著名人が参加しているM.D.G.A.V(Mouvement de Defense des Grande Accidentes de la Vie)という、ジェーン・バーキンが代表を努めるフランスの緊急医療援助組織(SAMU)を支援する非営利団体の活動に参加する機会を得たことで、フランス上流階級へ人脈を広げていきます。そのなかでゲラン・エルメス氏との接点が生まれた可能性は十分にあります。また1989年に彼が描いた鳥のイメージがフランス革命200周年のシンボルに使われ、ひとつのブランド・イメージにまで高められたことも、フォロンにスカーフのデザインを依頼するきっかけのひとつになったのかもしれません。