フォロンのポスター「Centenaire de La Louviere」 |
ベルギーのワロン地域圏に属するエノー州の工業都市、ラ・ルヴィエール(La Louviere)の名の語源は、市の歴史案内によれば、12世紀頃まで溯ることができるそうで、もともとはサン・ヴァースト(Saint-Vaast)の領地に建てられた農家の名称であり、現在の市名になったのは幾つもの語形変化の結果であるとのこと。12世紀頃、サン・バーストを(布)教区とする有名なオルヌ修道院(Abbaye d'Aulne)は、《Thiria》の川岸に重要な領地を所有していましたが、そこはサン・ヴァースト(Saint Vaast)共同体の中にあって、石炭採掘の森に小さな農地があるだけの、時の領主も近寄らない自然のままの樹木が鬱蒼と生茂る森で、市の紋章に描かれた母親の狼や鶫の格好の棲み家であったようです。当時の文書には、狼の巣という意味の“Menaulu”もしくは“Meneilut”と記されています。そのロマン語の表記“Meigne au leu(=Lepaire du loup)”が、ラテン語に訳され“Luperia”(1157年)⇒“Lovaris”(1168年)となり、再びロマン語に変換されて“Loviere”(1217年)⇒“Le Loviere”(1284年)となり、最後に“La Louviere”になったとあります。
サン・ヴァーストの領主は1390年、領地の経済的な発展を図るために、石炭の採掘を開始しますが、オルヌ修道院の反対によって18世紀まで大規模な開発は行われませんでした。19世紀、ベルギーがオランダから独立しベルギー王国(1830年)となり、産業革命の波が押し寄せると道路、運河、鉄道など社会基盤整備のために石炭産業が興り、ラ・ルヴィエールの経済,人口を一気に押し上げた結果、人口、経済規模ともにサン・ヴァーストを凌ぐほどになり、1869年2月27日に独立した行政区として市に昇格させる法律が発令され、1869年4月10日に正式に承認されました。百年後の1969年1月に、フォロン デザインのラ・ルヴィエールの市制100周年を記念するポスターと同市の観光用ポスターが数種類、同市にある出版社、Daily-Bul社lから出版されました。観光用の一枚は、Daily-Bul設立者の一人で、キネティック彫刻の先駆者となった同市出身のポル・ビュリー(Pol Bury, 1922-2005)がデザインを行なっています。ポスターの刷りは、当時フォロンのシルクスクリーン作品を一手に引き受けていたジャック・マルケ(Jacques Marquet)ではなく、ミラノに工房と出版社を構えるイタリア人刷り師、セルジオ・トシ(Sergio Tosi)が行なっています。セルジオ・トシは1960年代初頭から作品集や展覧会図録のデザインや印刷に携わり、自社の出版物はもとより、ヨーロッパの有力画廊のためにシルクスクリーン印刷を用いた斬新なデザインの画集や図録を制作しています。1967年にポル・ビュリーの画集を企画・出版したことから、Daily-Bul社との関係が生まれたのではないかと思われます。一方、フォロンは、このポスターの直後に制作した「Foultitude(FouleとMultitudeを合せた造語、“たくさん”の意)」から、変幻する幻想的な色調を生み出すために、着色にグラデーションを用いるようになり、セルジオ・トシとは、このポスターが最初で最後の仕事になりました。
このポスターでは、作品の主題となるモチーフを画面の中心に置き、タイポグラフィーはその周りに配置するという通常のポスターとは逆の画面構成が採られています。人物像は、顔の部分が大きく膨らみ、反対に身体の方は小さく見える、凸面鏡に映し出された画像のようにデフォルメされた姿で描かれており、そのため、人物の眼やフォークを握る手は小さく、凸面の中心になる口は極端に大きくなっています。ポスターは線描で描かれたモチーフの輪郭線が不鮮明になるよう意図的に赤一色だけで刷られ、さらに人物の身体の一部をポスターの画面からはみ出させ、余白部分を最小限に抑える事によって、図と地が互いに入り組んだ構図に仕立て上げています。その結果、ポスターを少し離れたところから見ると、赤一色の人物の身体がポスターの画面を構成する地へと変換し、中心に置かれた《ラ・ルヴィエール百周年》の立体的に描かれた白抜き文字が図として浮き上がって見えます。一方、ラ・ルヴィエール百周年の文字によって表わされた白抜きの歯はラ・ルヴィエールの語源となった狼を、人物に塗られた赤は、市を発展させる原動力となった、赤く燃える石炭の火をそれぞれ象徴しているように見えます。が、別な見方をすると、手にしたフォークの柄でテーブルを叩き、食べ物を求める人物は、大量の石炭を喰らい発展してきたラ・ルヴィエールの街、しいては現代文明そのものを象徴する存在であり、下の歯の上に仰向けに寝そべっている小さな人間は、現代文明という大食漢に、今にも飲み込まれようとしているかのようにも見えます。
ラ・ルヴィエールの百年は、物質文明の発展の歴史である一方、その裏で引き起こされた人間性と自然の破壊の百年でもあるのです。そして2007年の今日も、われわれ人類は、物質文明を維持するするために毎日化石燃料を大量に消費し、二酸化炭素を放出する一方、地球の皮膚であり酸素の供給源でもある森林を伐採し、地球を、赤い地肌が剥き出しになった再生不能な大地へ変え続けています。