フォロンのポスター「Deutsches Plakat Museum Essen」 |
浮世絵師の大胆な画面構成や優れた色彩感覚を受け継ぐ、明治、大正、昭和のポスター図案家の仕事は浮世絵版画同様、世界的な評価を受けているのは周知の通りです。そのポスターを、浮世絵版画のように国外に流失してしまう前に、体系的に収集、評価、保存する施設として、「日本にも国立のポスター美術館を!」という声を聞いて久しいですが、一向に実現されません。その一方で、ナショナルギャラリー(欧米列国の仲間入りしたいという切なる気持ちは痛々しくもある)という、国家の威信を示すべく新しく建設された新国立美術館は、皮肉にも自ら収集する機能を放棄し、展示に特化した施設となっています。
そこには日本人の自然観というものと深い関わりがあるのかもしれません。一日の中に起きる変化から季節の移り変りまで、すべて流れ行く時のなかで移ろう存在として捉える日本人にとっては、植物や動物、鉱物といった自然界に属する物は、すべて総体としての自然の一部として存在しているもので、それらの個別的な特性や相互関係性を観察の対象として捉える視点が欠落しているのかもしれません。ましてやそれらを収集、記録し、系統だって分類、保存するという志向(注:1)は持ち合わせておらず、逆に優れた観察や収集や新しい発見は、広く一般大衆の興味を喚起するものではなく、どちらかと言えば奇異なものと見られることの方が多かったように思えます。そのことは施政者による文化行政にも影を落とし、畢竟、時流や流行といった表立った現象面のみに捉われた場当たり的な施策に終始し、手間と時間のかかる基礎研究や資料収集と分類、保存、公開という、自然や人間の行為によって生まれたありとあらゆる事象やその構造に対する好奇心や博物学的資質が滋養されぬまま今日に至っているように思われます。それは博物館や美術館というような形而上学的な意味での時間の連続性という観念を引き出すことよりも、常に生きたままの状態、同時性を前提に、それを現在の生と結び付けることで、新しいエネルギーに変換していく日本人には、まっさらな状態に身と心を保つ必要があるのかもしれません。その意味では、新設された国立美術館は究極の美術館(日本人の精神にとっての自己変容の場)といえるのかもしれません。話が少し強引過ぎたかもしれません。
1976年12月16日から翌年の1月29日かけてエッセンのドイツポスター美術館(現在は、ドイツ・ポスター博物館と表記するようですが)で行なわれた、フォロンの水彩、版画、ポスターによる個展の告知用ポスター。ドイツの美術館での展覧会としては最初のものと思われます。
案内によると、同博物館には現在およそ34万点のポスターが収蔵されているとのこと。それらすべてが購入されたものではないはずで、資料的な意味を兼ねるポスターの場合、日本でももっと寄贈による収集を進めるべきかと思うのですが。愛好家の手元にあるものや、まったく日の目を見ないままになっているものを含めると、その数はかなりなものになる筈です。毎回、海外の有名美術館からの借り物で展覧会を行なうのではなく、国内にあるものを有効に利用しながら篤志を募るというようなことをNPOなどが美術館側と連携して行うところに来ているのではないかと思います。しかし現実はそれとはまったく正反対のようで、ある画商から聞いた話なのですが、スペインのある有名画家のオリジナルポスターをほぼ網羅するコレクション(美術館で展覧会を開催できるほどのものです)を持つ方が、地元の公立美術館に寄贈を申し出たところ、にべもなく断られたといいます。ポスター・チラシの類は美術的な価値がないと思っている日本の美術館らしい、お粗末な話ではあります。
それはそうと、このところ武蔵野美術大学・美術資料図書館(3万点)や京都繊維工科大学・美術工芸資料館(データベース「ポスターコレクション・カタログ・レゾネ」にアクセスできず詳細は不明ですが、資料全体では3万6千点)など公立の美術館以外のところが、ポスターを歴史的資料として積極的に収集していますし、閉館したサントリー美術館・天保山は1万5千点を収蔵していたと聞きます。しかし悲しいかな、三館の全ての収蔵品を合わせてもドイツ・ポスター博物館のそれには遠く及びません。1968年にポーランドに世界初のポスター美術館(ヴィラヌフ・ポスター美術館)が創設され、美術界ではあまり脚光を浴びることのない領域にようやく光が当てられることになって今年で40年。各国はその間、それぞれの地域の文化的特質が色濃く反映されるポスターの収集に地道に取り組んできました。そのポーランドで行なわれたの第一回ポスタービエンナーレ(1966年開催)で亀倉雄策氏が芸術賞を受賞して以来、今日に至るまで毎回のように受賞者を出し続けている我が国のそれは、あたかも浮世絵版画の研究と同じような足取りを辿っており、40年経ってようやく収集・研究の端緒に着いたばかり、というのが現状なのかもしれません。
2008年にドイツ・ポスター博物館収蔵のポスターを借り受け展示する「ドイツ・ポスター、1890-1933(Moderne Deutsche Plakate 1890-1933)」が京都国立近代美術館で開催されましたが、ドイツにはこの博物館のほかに、25点以上のポスターを収蔵しているハンブルグ工芸美術館もあり、喩えは悪いですが、「ティーガー戦車」と「九七式中戦車」の違いを見せ付けられているような気分になるのは、わたしだけでしょうか。
注:
1.博物学は動物・植物・鉱物といった自然界に存在する物について、種類や性質などの情報を収集・記録し、さらにそれを整理・分類する学問をいい、自然誌(史)とも言われ、2006年に東京国立博物館で行なわれた、「日本の博物学シリーズ 博物図譜-写生とそのかたち- 」の案内によると、「日本の博物学」は、中国の本草書に記された動植物名を日本のものと“照合”することから出発し、博物学としての体系が整えられたのは18世紀以降で、享保年間(1716~35)頃から幕府が実施した全国産物調査を契機に、物産学が盛んになり、田村藍水、平賀源内、小野蘭山らの学者が活躍。さらに飯沼慾斎、岩崎灌園、宇田川榕菴、伊藤圭介などは西洋の博物学の影響をうけ、幕末から明治期にかけて優れた科学的研究を展開した、とあります。