フォロンのポスター「Musée des Arts Décoratifs」 |
1968年暮にギャラリー・ド・フランス(Galerie de France)での個展で作家としてのデビューを果たしたフォロン。それから僅か三年で回顧展を開催することになります。1971年12月10日から翌年2月10日にかけて国立パリ装飾美術館で開催された展覧会は、当時美術館館長の職にあった、フランソワ・マティ(François Mathey)の強い後押しで企画されたものです。マティは進歩的な見識の持ち主であったようで、1960年代中頃にはすでにフォロンのユニークな表現手法-彼はそれを「アール・グラフィック」と呼んでいます-とその今日性を評価し、個展の図録などに序文を寄せていましたから、この展覧会は自論の証明であるばかりでなく、古い体質の美術界に風穴を開けるという意図も併せ持っていたのではないでしょうか。
展覧会の図録(序文はもちろんフランソワ・マティ)によると、出品作品は90点で、その内訳は以下の通りです:
1967年から1971年にかけて制作された墨によるデッサン39点
1971年に制作された水彩画29点
1967年から1970年にかけて制作されたポスター10点
1969年から1971年にかけて制作されたシルクスクリーンの版画12点
図録には、これらの作品とともに、グラフィスやニューヨーカーなどの雑誌カバーも10点カラー図版で紹介されており、雑誌の表紙絵が、フォロンの1960年代後半から70年代における表現活動の一翼を担っていたことを示しています。矢印に象徴される、効率、利便性を追求する都市文化のなかで、すべて(の選択の可能性)がシステム化され、方向付けられ、人間性が知らず知らずの内に奪われていく様を、自らもその一人であるフォロンが、何百万部と発行される、これらの情報媒体を積極的に利用し、皮肉をこめながらも、厭世的にではなく、ユーモアを介することで、その状況を客観的見る目を与えてくれたのではないかと思います。
フォロン自身にも思い入れがあるのか、薄手の光沢紙を使って刷られたこの展覧会のポスターは、フォロン自選のポスター展には必ずと言ってもいいくらい出品されます。フォロンの展覧会ポスターの場合、原画は通常は図録と共用されることが多いのですが、このポスターでは、タイポグラフィーは同じ書体、配列であるにも拘わらず、原画はそれぞれ異なるものを用いています。ポスターでは、画面はポスターのほぼ中央に置かれ、タイポグラフィーは上下端に配置されているので、両者の間には、不必要とも思える大きな余白が生まれ、それが見る側に何かしら違和感を覚えさせます。フォロンが敢えてそのような意匠を選んだのか、依頼主の要望に応えようとしてそうなったものなのか分かりませんが、前者、フォロンの意図であるとするならば、そこにはフォロンの画面の見せ方に対するひとつの目論見があったのではないかと思われます。
それはこのポスターの主題を構成するモチーフが、現代という時代をよりリアルに伝える視点であるという観点から、二重の画面を構成しているというところにあります。一方、横長の画面を縦型のフォーマットを使って構成するやり方は、このポスターの後継的な作品-1979年の「L'Europe c'est l'Espoir」、1980年の「Pen」、1981年の「Science Desarmement」等々-がその後も継続して作られていくことになります。これらのポスターに共通する大きな余白は、本の挿絵に見るような、テキストと挿絵の配置にも関係してくるかもしれませんが、図と文字からなる対象を認知する際の縦型のフォーマットへの視覚的な意味での志向性が軸になっているのかもしれません。移動しながら見ることなる駅のホームや道路の脇に掲示されているポスターは、横型のものが多く見られる傾向があり、静止して見ることを想定して掲示されたポスターには縦型が多いことから、対象を知覚する場面・状況に応じてフォーマットが(意識的に?)選択されているのかもしれません。
ポスターの場合、画面とタイポグラフィーの相互作用によってよりメッセージ性が高められるのですが、そのためには両者がそれぞれに両犠的な関係である点に留意したデザインが成されることが求められます。ただし見られることを前提に考えるなら、ポスターにより強く求められるのはイメージの訴求力であって、文字による情報伝達の役割は二次的であると言ってよいかもしれません。従って単に多くの文字情報を挿入することは、逆に見る側の視線を両者の間で有機的に結び付ける働きを疎外するもので、見る側の想像力を膨らませることにはなりません。
それではフォロンはこのポスターをどう見て欲しいと思っているのでしょう。結論からいうと、このポスターでは画面とタイポグラフィーとの相互作用には重心は置かれていません。それよりも画面の輪郭に注意を向けてみる必要があります。矩形ではあるものの全体に分丸みを帯び、中心部分と対角線上にハイライトが入れられて若干手前に湾曲しているように見えます。そのような形から思い浮かぶのは、(当時の)テレビのブラウン管で、わたしたちはそのブラウン管に映し出された画像を見ていることに気付かされます。このポスターでは、20世紀になるまでで不可能であった映像という時間の流れを画面のなかに意識することになります。
20世紀は映像の世紀とも言われ、わたしたちは世界中の様々な出来事を、毎日テレビの画面を通して目にしてきました。大衆とそれを支える大量生産・消費社会とは、規格化された均質な商品や生活や人生によって成立しており、かつてのように個々の欲望には対応してはいません。殊に、都市において人間は自然から切り離され、生産⇒消費⇒廃棄といった非循環的な社会システムに組み込まれています。そのような社会ではすべてが実像をモデルに作られた虚像(イメージ)に置き換えられ、それらのイメージは、テレビを始めとするマスメディアによって絶えることなく生み出されていきます。大衆の欲望は、上昇する意識からは限りなく遠ざかり、下降していく中での他者との差異によって満たされていくことになるのです。そのような志向は、我々が生きる実世界を、映像という現実の複製によって、臭いも温度もない写真や映画と同じように消費していくことにほかなりませんが、それは逆説的な意味において、わたしたちが神のような冷徹、無慈悲な視点を持ったと言えるのかもしれません。わたしたちは自分の肉親や伴侶の死に対しては感情を露わにし嘆き悲しみますが、テレビに映し出される多くの他者の死という記号化された無機的な事柄に対しては、非常に乾いた感覚でそれらを眺めているばかりではなく、自己の安全という優位性において、他者の死を消費しているのです。それはまた社会や犯罪者に対する怒りに転嫁することで、実行者ではない自らが他人の手を借りて行なっている殺人という疑似体験でもあるのです。
ひるがえって、このテレビ画面を見ると、そこに渦巻くエネルギーは、20世紀という映像化された時代に生きる人間が燃やす業火を象徴しているのもしれません。ポスターが制作された1971年、世界が注視する中、ベトナム戦争は泥沼化し、CCRによって「Have you ever seen the rain?」(1970年)と歌われたナパーム弾が、ベトナムのジャングルや農村に赤い大きな花を咲かせていました。その光景はニュースで何度も取り上げられ、火の玉が生き物のように大きな渦を巻いて膨らんでいく様は、フォロンが描いた赤い矢印が外に向かって拡がっていく図像とどこか重なるような気がします。それはまた現実の世界において神殺しの罪を犯したわたしたちが、映像の中に複製として生きる人間が業火によって焼き尽される姿をして、自らの浄化を果たそうと二重の罪を犯しているように思われてきます。