フォロンの案内状「ジャン・ミシェル・フォロン展」 |
私たちは他人を見るようには自分を客観的に捉えることはできません。それ故、他人が自分をどう見ているのか気になるものです。それが過ぎると自意識過剰となり、挙句は対人恐怖症になってしまったりすることさえあります。友人というものは、地位や身分などの社会制度や、物やお金といった利害関係を全く無視することはできないにしても、その人となり姿が自分を映し出してくれる鏡のような存在であり、いろいろな視点を持った友人を持つことは、自らの姿を知る上で欠かすことのできません。フォロンには美術関係の友人はもとより、住む世界が違っても心を通わせることが出来る友人が数多くいたようで、音楽家だけでも、ジャズギタリストのスティーヴ・カーン、ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンス、コンポーザーのミシェル・コロンビエーなどの名を挙げることができます。フランスのジャズバンド『The Massiot』を結成していたマショット夫妻とは、ミラノのガレーリア・デル・ミリオーネの経営者パオラ・ギリンゲッリとの共通の友人であったようで、二人は旅行先から絵葉書を出したり、展覧会の案内状などを、フォロンのカットを添えた封筒に入れて、こまめに送っていたようです。そのマショット夫妻の手元にあった絵葉書や封筒、展覧会の案内状などが売りに出され、運良く20点ほど入手することができました。なかには今まで見たことがなかった展覧会の案内状も含まれており、画像が準備(スキャナーがあれば簡単に画像を取り込むことができるのですが...)できれば紹介したいと思います。エフェメラと呼ばれるこれらの“紙物”は、作家や家族の死後、蔵書などと一緒に処分されることが多く、主に古書店で扱われることが多かったようです。が、最近は、作家の表現の一部として、画廊でも扱うところが増えてきています。なかでも現代作家がデザインした案内状、ポスター、小冊子等への関心が高く、その資料的価値のみならず、作品を成立させることになった時代背景やその時々に生まれては消えていった副次的な文化を感じさせるとして、エフェメラへの関心が高まってきています。直接的には自分が見に出向いた展覧会を追体験させるための次元装置として、また見に行けなかった展覧会の現場、そしてその状況を浮かび上がらせる時間装置のようなものとして、エフェメラという肌感覚を備えた物に愛着を覚えるコレクターも確実に増えてきているようです。インターネットの無い時代には、個人の時間流れの中に置き忘れられ、また切り離され、処分されたであろうこれらのエフェメラは、別人に渡ることで、新しい時間軸のなかで、再び作家の生きた時空間を開き、作家との対話を生み出していくことになるのでしょうか。
今回紹介するのは、1970年の春に東京銀座のソニービル8階で開催されたフォロン展の案内状。1968年にパリで公演された「Il n'y aura plus d'arbres」を告知するポスターのためにデザインされたモチーフが使われており、シルクスクリーンで刷られています。ポスターも同じデザインであったように思います。フォロンの展覧会は、1969年の春に東京の壱番館画廊で行なわれた個展が最初のものですが、その一年後にソニービルで開催された展覧会は、オリベッティの日本支社である日本オリベッティ株式会社と毎日新聞社の文化事業の一環として行なわれたもので、日本で初の公的な展覧会でした。壱番館画廊の個展ではシルクスクリーンによるオリジナルポスターがパリのマルケの工房で制作されていますが、それよりも規模の大きいソニービルでの展覧会では、半世紀以上の歴史をもつ新聞社主催による名画展の例に洩れず、すでに制作された作品を複製するという方法が採られています。さらに、その後の二回のフォロン展でも同じ方法が踏襲されることとなり、ポスター作家としてのフォロンの持ち味が生かされなかったのは残念というしかありません。
ポスターと案内状には、展覧会の一ヶ月ほど前の3月24日に書かれたフォロンの手書きメッセージとその邦訳が添えられているので、記しておきます。
描くこと それは
街中を ほっつき歩き
生活を みつめること
描くこと それこそは
地獄への道に過ぎない―
私自身 自分の絵など
わかっていは しない
イマジナシォンという手合ほど
手におえぬものはないのだ
街角で ふと出逢う
心うたれるできごとは
そのまま 互いに和解し合って
紙の上で 勝手気儘に
息をふきかえす―
私は ただ 私の絵の
最初の目撃者にすぎない
あなたこそが 真実
そこに在るものの 発見者となる―
私の絵は 証しすることなど
のぞんでいない
メッセージを
持ち合わせているわけでもない
それは ただ
あなたのイマジナシォンへの
よすがとなるに すぎないのだ
それでは
愛する日本のみなさん
どうぞ
どうぞ
お入りください
フォロン
1970年3月24日