フォロンの招待状「Galerie Charles Kriwin」 |
フォロンは1978年頃から花瓶に生けられた花を題材に作品を描き始めます。それはあたかもエコール・ド・パリの画家たちが好んで描いた題材ののように見えなくもありませが、フォロンの場合、イタリアの画家ジョルジオ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890-1964)の影響を受けて、というより、モランディを象徴するものを通して、モランディの肖像を描き出そうとしたのではないかと思われます。フォロンは1973年頃、二人目の“連れ合い”となったパオラ・ギリンゲッリ(Paola Ghiringhelli)に連れられてボローニャにあるモランディのアトリエを訪れ、アトリエにそのまま残されていた陶製の花が生けられた花瓶や使い古された水差しなど、モランディ繰り返し描いたモチーフを写真に収めています。その体験と、モランディの画商であったジーノ・ギリンゲッリ(Gino Ghiringhelli)を父に持つパオラが語ってくれた、父親とモランディとの交流の話(パオラの父親は、モランディの死後、心の隙間を埋めることが出来ず、後を追うように亡くなってしまったそうです)が、フォロンの心の中にありのままの姿のモランディ像を結像させ、それが陶製の花が生けられた花瓶や水差しにオーヴァーラップされて、フォロンにとって粗末な花瓶や水差しそのものがモランディの存在を象徴するものであり、またその肖像として捉えられることになったのではないでしょうか。フォロンは後に、モランディとパオラの父親の交流とその身に起こった出来事を綴り、それをパオラが父親への追悼の意を込めて、「モランディの花(Fleurs de Giorgio Morandi, Rizzoli, 1985)」という題の本として出版しています。
1978年12月13日から79年1月13日にかけてブリュッセルにあるシャルル・クリウィン画廊で行なわれた近作展の告知用ポスター(画像3参照)および内覧会への招待状には、同形の花瓶に生けられた花を描いた水彩画が使われています。招待状に使われた水彩画は、モランディが描いた白を基調とする静謐な画面とは対照的に、花瓶に生けられた赤い花束は、その輪郭を失い、やがて茜色に燃え立つ炎がごとく姿に描写されています。